国内ニューウェイヴの象徴のひとつでもあったゲルニカ。上野耕路と太田螢一の出会いの時代的背景には、やはりパンク〜ニューウェイヴが大きく関係していたようだ。そしてゲルニカはなるべくして誕生したわけだが、このパート2ではふたりのサブカルチャー的側面から、アーティストとしてのアイデンティティまでが語られている。お待たせしました、それでは前回の続き「完結編」スタート!
 ● 80年前後のニューウェイヴでも、海外のものだとどんなものに興味ありましたか?
上野 実際に影響を受けたわけじゃないけど、セックス・ピストルズはやっぱりびっくりしたけど。
太田 びっくりはしたよね(笑)。
上野 『ホリデイズ・イン・ザ・サン』だっけ。ナチスの靴の音で始まってるやつ。ポエジーとは言わないかもしれないけど、あのセンスにびっくりした。
太田 ニューウェイヴといっても、創造のためにはパンクの破壊の要素は必要なものだったよね。やっぱり痛快だったし。僕達自身もうざうざした思いをしてたからさ。そこにああいうものが登場したから、なんか痛快な感じはあったよね。
上野 その後友達になったイギリス人なんかもパンクだったんだけど、パンクってみんなが思ってるほど暴力的なものでもなかったみたい。でも音楽的に見ると、ピストルズはブルーノート(スケール)を使ってないんですよ。ペンタトニックとかも出てこない。ファズギターのバンドだと、大抵ブルーノート、ペンタトニックとか出てきてハードロックみたいになっちゃうんだけど、サウンドはあんな感じなのにドレミファ音楽みたいで面白かったな。スコットランド民謡みたいな感じで。
太田 オモチャっぽい感じだよね。単純というか。
上野 あとビビアン・ウエストウッドのコスチュームがすごかった。ジョニー・ロットン(ジョン・ライドン)が、絶対シャツのボタンを外さなかったのも印象に残ってる。一番上まで止めてるところがさ。あんな汗だくになってるのにボタン外さないから、妙な感じがしたな。あとウルトラ・ヴォックス。ミッジ・ユーロが入る前のジョン・フォックスの頃がよかったね。その後のジョン・フォックスのソロも、コードを使ってない線だけの音楽みたいで面白かった。あれを聴いてポップスでは、その後コードなんか使わなくなるんじゃないかなと思って、すごい進化だと思った。でも、とんでもなくて(笑)、それ以降全然そんなことにはならなかったね。
 ● ジョン・フォックスには、一般に言うニューウェイヴ的な側面がありますよね。
上野 そう。だからパンクには嫌われてたんでしょ。ウルトラ・ヴォックスは。
太田 あの時代のそういう人達には、いかにもっていう塊まり感があったよね。あと僕はディーヴォとかも面白いと思ったよ。音楽的ではなくてだけど。
上野 ああ、ユーモアのセンスがあそこまであるロックのアーティストって、いなかったよね。
太田 当時のあのふっきりかたは、すごかった。開き直ってて(笑)。
上野 あとB-52's。
太田 あれもよかったよね。バンド名とか曲名とかにもいちいち感心していた時代だよ。
上野 トーキングヘッズも『リメイン・イン・ライト』より前まではよかった。『フィア・オブ・ミュージック』あたりまで。
太田 あとXTCとかも人気あったよね。あとあとイメージは変わっていったけど。
上野 エルビス・コステロは歌が巧かった。実はヴォーカリストとしてすごくいいなと思ったんですよ。
太田 あの頃は巧いとかいうこと言わなかったからね。詞なんかでもヘボいのが多かったし(笑)。さも難しい詞なんだろうなと思って訳詞を読むと、愕然とすることもよくあったと思うよ。
上野 ほら、ラジカルなんだから(笑)。
 ● 言葉を記号化してイメージを喚起するキーワードがあればいい、みたいな思想はありましたよね。
上野 キーワードだけで出来てる歌詞もあった。でもニューウェイヴって、当時やってる頃には、アヴァンギャルドの一形態という気もしてた。例えばダダイズムなんかと同じで、一種のイズムだというところが。だからロックとか音楽の歴史上のテキストで語られるものじゃなくて、むしろイズムの方かな?と思ってた。
太田 アート感も高かったよね。でもジャケットで何がよかったかというと、そんなに多くないけど、ディーヴォはよかったな。あとフィル・マンザネラ(ロキシー・ミュージックの後期ギタリスト。その後イーノとの801セッション、ソロなどの作品も残す)の『リッスン・ナウ』は今でも好きだよ。
上野 でもニューウェイヴは不毛だからいいのかも知れないね。自己批判があるし。ロックとかは、何かそこに行く前に忘我状態になっちゃう感じじゃない。ガーンとやって、酔っちゃうみたいな。だけど、そんなに簡単に自分を許さない感じがあったと思う。だからニューウェイヴ自体を不毛というのはわかる気がする。
太田
確かに客観性はあったね、あの時代の音楽は。冷静さというか、もうひとりの自分が自分を見ているような。個々がそう思っていたかはわからないけど、時代の中の感覚としてそういうものはあったはず。
クロコダイルの楽屋裏でふざける2人
(撮影:太田螢一)
 ● ポップ観ということについてはどうですか?
太田 いろんな考えがあったかも知れない。ある部分では、一般大衆的なものを斜めに見てたところもあるし、かといってヒッピーっぽいような人達に対しては、もっとスウィートなものをやればいいのに、なんて気持ちもあった。だから身勝手な大衆性みたいなのは、いいんじゃないかと思ってた。
上野 太田君も僕もコンサヴァティヴな教育は受けてるから、例えばコンセプチュアルアートみたいなものがどういうものか?というのはわかっていたよね。だから観念性の方に走りすぎてたから、そっちにはいかない、というところでポップを意識していたと思う。あと世間でA級といわれるものではなくて、B級のものを最初からやるとか、そういうのが自分たちなりのポップなセンスだったかも知れないな。
太田 アイロニックな感じっていうのも、大きかった。わざわざこんなもの、みたいな。
上野 太田君の場合だとイラストレーターの時代があったじゃない。そういうところでのポップは、あの頃は意外ともう権威になっちゃってたりしてたんだよね。
太田 そういうところで、へこたれてたからね(笑)。うんざりしちゃうとかさんざん思ってた。
上野 そうじゃないやり方をしようとしてたから、うまくポップな感じになったんじゃないかな。変な権威だとか観念だとかにはいかない感じ。
太田 逆にアイロニックな意味で、もっと古典的な権威的なニュアンスを表したりはしてたけどね。
 ● ノスタルジックということについては?
太田 古い音楽とかは僕なんかにしてみると、新鮮なものだったりもしたわけね。生まれる以前の音楽にしても、ヴィジュアル的なものにしても。そのへんが僕を揺り動かしてた。自分の絵ではその折り合いが悪くて、ロマンチックな気分とかがさ。今になってようやく折り合いがついてきたけど。

 ● ゲルニカのジャケットにしても、当時の太田さんの作品はニューウェイヴの一部になってると思います。気持ちの悪い絵にしても、ただ気持ち悪いわけじゃなくて、魅かれるものがあって。
太田 時代的な部分のみでただ描いてたわけではないから、生理的な部分もたくさん入ってるんだろうね。時代っていうのは、きっかけだからさ。それを元にして、より自分らしいものをつくるわけだから。
上野 僕がノスタルジーに行ったのは、60年代のビートポップス以降の音楽の肌触りが、どうも居心地悪かったというのがある。あと戦後のアヴァンギャルドが性に合わなかった。戦前のアヴァンギャルドは好きだったんだけど。それでノスタルジーに魅かれていったのかな。
太田 手触りのキメ細かさ、みたいのもあるしね。
上野 ゲルニカは戦前のアヴァンギャルドと、戦前の大衆音楽を交配させるっていうのが、コンセプトだった。
太田 最終的にはそこから、もっと独特なゲルニカとしての生理的な部分が出てきたと思うけどね。
上野 それはヴィスコンティとかが『地獄に堕ちた勇者ども』とかで、30年代のことを撮るんだけど、あれって69年の映画だから。そういうところもあって、むしろ映画的な手法だったよね。やっぱり80年代のレンズを通して組織したものだから、まぁ一種のフェイクだよね。成りきってやっているというより、多少の時代考証があってセット組んで撮ったみたいな。
太田 映画的な、という作りはあった。僕の絵なんかにしてもそうだしね。音楽は映画音楽のやりかたも意識したけど、ゲルニカのコンセプトには様々なシーンの展開があって、それは映画的だったと思う。
上野 詞がそうだったよね。一本の映画みたいなものだった。


可愛らしいポーズのゲルニカ
(撮影:廣瀬タダシ氏)
--- 記事掲載時にはそれまで未公開とされていましたが、
 「Soundall」誌附録の折り込みポスター(1982年)の
   素材となっていたことが判明 ---

 ● 映画からの影響という側面では?
太田 フェリーニからは、何か方法論とか感覚的な気分についての影響を受けている気がするけれど。ゴダールとかよりフェリーニだよね。突然何か出てくるとか、あとストンと終わるとか、そういう感じが僕はすっごい好きだけど。暗示的な気分があるっていうもの? ゴダールとかはそういうものじゃないからね。
上野 よくフェリーニがカトリックっぽいっていうけれど、ゴダールの方がカトリックっぽい感じがしちゃうんですよ。特に『ゴダールのマリア』みたいなのは。本人はスイス人で多分プロテスタントなんだろうけど。フェリーニの『カビリアの夜』とかは カトリックっぽいけど。ああ、だからヌーヴェルヴァーグは僕たちには駄目だったのかな(笑)。
太田 僕もあまり興味は持ってないけど、その時代に意味があったことは大いに認めるよ。でも、具体的に僕たちには興味はなかったのかな。でもルイ・マルは観た気がする。
上野 ゴダールのめちゃくちゃなところとか、トリュフォーの繊細な感じも好きだけど、敢えて自分が何かやるときには吹っ飛んじゃうね(笑)。
 ● そう言えば上野さんには、伊福部昭からの影響もあったと思いますが。
上野 うん。そうなんだけど、でも本人は30年代に青春を送っている人だから、ルネ・クレールとかの映画を観てエリック・サティとか聞いてたわけだから。そのころの日本のアカデミズムとも縁の無かった人で、それが音楽にも表れてる。でも文部省唱歌とは全然違うメロディーやコードの付きかたがあって、それは聴いてすぐわかったんで……まあ、すごく影響は受けたですね(笑)。
太田 日本人として日本的なものを作ってるというよりも、たまたまアイテムとして日本を選んで作っているみたいな感じだったな。
上野 なんなんだろうね、あれって。でも本人のキャラクターの大きさというか、郷愁とかも感じているかも知れないけど、出来てくるものがそれを超えている。モダンボーイだしね。1番豊かな時代に青春を送ってる人だよね。そういう意味では非常にうらやましい(笑)。見ているものも今の人とはちょっと違うし、自分の音楽やスタイルでそれを表現しちゃったところがすごいなと思う。僕はミニマルミュージックとか聴かないけど、今聴くとミニマルミュージックの要素がほとんどあるから。なんかテリー・ライリーが家に訪ねてきたっていうくらいだから。それを思うとものすごく新しい音楽だったと思う。特に61年に作ったピアノとオーケストラの『リトミカ・オスティナータ』って曲があるけど、今聴くと最近のミニマルミュージックと言ってもおかしくない程だと思う。

 ● そろそろ時間もなくなってきたので、今後の活動について聞かせてください。
太田 僕の現状としては、今までとあまり変わらないかも知れないね。でも今世紀中には、何かまとめてしまわないといけないことがいろいろあると思う。作品集を作るとか展覧会をやるとかもあるけれど、もっと大きく言っていろんなアイデアを何年かのうちにやり尽くしたいと思ってる。やり尽くせないかもしれないけど(笑)、あとからあとから出てくるからさ。
 ● 具体的にもう始まってるんですか?
太田 気分的には始まってるんだけど、最初の段階とかですぐつまずくもんで(笑)、いつまでも進まない。
上野 ずいぶん計画だけに終わったアイデアとかあるよ。
太田 あるねぇ(笑)。なんとかしたいもんだけどね。でもきっかけがいるアイデアも一杯あるから、音楽の話をたまに彼としていて、また一緒に云々とか言うけど、その辺もきっかけがもうちょっとあるといいと思っているんですよね。
 ● 上野さんはどうですか?
上野 そうだな……具体的なものと漠然としているものの、バランスが悪い。
太田 慎吾と一緒に何かやるの?
上野 久保田君とは一緒に何かやるよ。今の段階では完全に2人でやろうと思っているんだけど、(太田氏に向かって)何かやる?
太田 いや、成り行きを取り敢えず見守るよ(笑)。
上野 今まで話してきたことと全部関係があるんだけど、決着をつけたいんですよ。その60年代的なものに関係するかも知れないけど。もうちょっと、その純度の高いものをちゃんと形にしようかなと思っている。8½ のようなサウンドも作るかも知れないけど、それもコンボスタイルではやらないでしょう。なんて言うか実験的何だけど、変な関連性のないものとか、権威には絶対なり得ないようなもの。結局言ってることはいつも同じなんだけど(笑)。で、結局キャラクターでは、戸川さんは才能がすごくあったと思えるけど、今までいろんな人を見てきたけど、パフォーミング出来る人って久保田君以上の人を見たことがない。自分はどっちかっていうと曲を書いたり、アイデアを考えたりの部分で、それをリアライズする部分を久保田君にやってもらおうと。
太田 スパークスみたいだね。
上野 ここのところ現代音楽というか、日本の楽団とある種の交流を持っていて゛そういう世界のことを見てきたんだけど、なんていうかやっぱり面白くないんですよ。技術はすごくあるけど、スタイリッシュなところが圧倒的になさ過ぎて、もう切れちゃいそうな感じなんですよ。ちょっと怒りが(笑)。自分はオーソドックスになろうと思って、依頼された作品を書いたりしたんだけど、ある種のお行儀の良さに自分で我慢が出来なくなってきちゃったりして。
太田 そんな作曲家とかいってるたまじゃないよね(笑)。あんまり偉くなってちゃだめだよ。いつまでもチンピラじゃないとね。
 ● 今世紀中にはご両者何かやりそうですね。
太田 でも今更やるとなると、また極端なことやりたくなっちゃうな。
上野 あと、ちょっとだけ出資者も欲しい(笑)。
太田 せっかくやるならね、安普請でなくやりたいものね。
上野 でも、そのへんでうまくいったためしがない。
太田 僕とかは悪意があるものを作りたがるので、すべてがパーになる(笑)。愛とかそういうものを飾ったりはしないから。
上野 でもタランティーノとか、ビートたけしとか悪を感じるけどね。
太田 あれはいいんだよ。それは時代の中でのことだからさ。


THE END


OF NEW WAVE ?

(撮影:清水隆俊氏)


:-) no.