太田螢一 月刊"ART WORKS"誌 と "ART WORKS"展 出品作


◎「『ART WORKS』は1985年に始まり1992年までマンスリーで世に送り出された全ページ アーティスト達の手造りファイル本。限定150部 1アーティスト 1ページを何らかの手作業で仕上げる。つまり1人150枚の作品をあの手この手でこしらへるという代物。
生写真、版画類、コラージュ、墨や鉛筆や布や… 皆 切った貼ったと楽しんだり苦しんだり…。若い才能達はもちろん著名高名なアーティスト達も大勢参加した。私は本に2回、そのエキシビションに2回挑戦しました。先日『ART WORKS』を企画推進され去年亡くなられた長野眞さんの偲ぶ会に呼んでいただいて当時ワークスに参加した懐かしい旧友達と再会して楽しい語らいの時を持った。その後 久しぶりに『ART WORKS』を取り出してみたら面白かったんで私の作品を紹介しましょう。」

"ART WORKS" is the monthly file-book magazine of original works which many artists joined with their 150 pieces of works such as drawings, photos, prints, paper crafts and anything possible to be filed in. Each issue had just 150 files.
"ART WORKS" was published from 1985 to 1992 in Tokyo, Japan. MoMA, Smithsonian and other museums are keeping "ART WORKS" in their permanent collections.
We introduce Kêiti's artworks for the magazine and the exhibition of "ART WORKS".


◎「これは以前描いた『継母(1985)』という絵をカラーコピー。濃硫酸をピペットでターラタラ。御覧のようにむしばませてみた。」


「硫酸が残留し悪影響を及ぼしつづけ迷惑なので厚トレペでカバーされ DANGER! と印字」


「DANGER! 及び注意書き」

「もともとちょっとスカスカめの作品だったのがなんだかカッコ良くなっちゃったな。
浸蝕は今も続いている。1986、制作」
Corroded the color copy of the picture by concentrated sulfuric acid. 1986


◎「2回目は詩作をのせようと肉屋であれこれモツを買い込みガラス板の上にキレイに配置。
それを下からカラーコピー。その上からポエムを印字して最後に香水をふりかけた。」

『口腔のバラ』1986、製作
「カラーコピー機の熱でモツがグツグツ煮立ち脂がとけて あたりクサクサに。」
Typed a poem on the color copy of entrails, sprinkled rose perfume. 1986


◎「『ART WORKS』展で数mの大きなハリボテの地球の好きな場所にアーティスト達がオブジェをとりつけるって事となり私は『地球の内部を描く!』と名案を出しちゃったら話が進んぢゃって内側くりぬいてもらい全体力をしぼり出し数日かけて描く。当初 絵にするはづが時間と大きさの問題でこんな『柄』になったけれど意味はあるのだ。」


「組み立て作業。」

「この後すっかり閉じられ回転する地球の下(南極)にあけられた穴からのぞき込むことに。」

『地球胎内』1987制作
"Inside (womb) of the Earth" the biggest work of Kêiti, for "ART WORKS" exhibition "EARTH WORKS" 1987.
「あらためてみてみたら何だか元気がでてきた。一人淋しいつらい作業でよれよれになったけど もしもチャーミングなお手伝いさんが側にくっついてさえ居てくれてかいがいしくしてくれたなら力がよみがえってもう10玉くらい描けそう。私一人じゃ絶対イヤ!」

「こうして87年 地球胎内へリビドーうずまかせたけどどっかで誰かオギャーと産まれたかな?」

当時、ART WORKSで担当してもらって今回もご協力いただいた悦ちゃん、ありがとう!


February 2016 A Remembrance Gathering for Makoto NAGANO (a.k.a. Shii HAE, author, editor, translator, publisher, producer).
「Remembering FLY 南風椎 〜 長野眞を偲ぶ会 〜」

 「2月7日 作家、編集者、翻訳家、出版プロデューサーと多面的に活躍され、去年亡くなられた長野眞(雅号: 南風椎)さんを偲ぶ会があり寄らせていただきました。
私は80年代の後半長野さんが企画推進した『アートワークス』誌で何度かお世話になりアートワークス展でもポスターやイベント作品に仲間に入れていただきました。会場のクーリーズ・クリークは大勢の人達が詰めかけて長野さんが生前とても愛されていたのがよくわかりました。まだまだお若くてこれからやりたいアイディアも沢山おありだったろうにと思うととてもさみしい気持になるとともにハッ!と我身へせまるものがありました。
沼田元氣君や THE MODS の面々、山咲千里さん等もみえていて静かに盛り上がって長野さんもどこかでニヤニヤされていたでしょうね。当時担当していただいた萩原悦子さん呼んでくれてありがとう! 後で思いかえしたら元氣君も黒タイ締めてたし全体的につつましやかな色の服装の人が多かったのですが… 僕、何も考えづに赤ワイン×ブルーグリーンで行っちまったー!

 会がひけてから春節前日なので中華街でも一人トコトコ行ってみよーか、なーんて思ったりしてたら白金高輪駅付近でお財布を紛失! もうそれからほろほろとあちこち聞き歩いたりで悦ちゃん達にも心配かけて…。その後 交番どうしの連絡で麻布十番交番で再会! 身分証明が無くてちょいと大変でしたが見つかって本当に良かったなー。御礼も断って届けてくれた方やがんばって便宜を図ってくれたおまわりさん達、感謝にたえません。人の世の情のありがたさよ、と まだまだ薄ら寒い東京タワー輝く麻布の夜空に両の指を組み合わせました。
 私、昔っから多いんです。保険証おとしちゃったり物を置き忘れたり道に迷っちゃったり階段で転倒して血をみたり… うかつな私です。片手だけの手袋なんか多いんです。どうも気持が前の方に行っちゃって手許があやふやになってるみたいです。自分の事ながらもう見ちゃらんないです。そのうち『自分』を落として帰ってきちゃうと思うんで誰か拾ってくださいね。

☆『ART WORKS』は限定150部の本で、本そのものが芸術作品とすべくアーティスト1人1ページを必ずなんらかの1点ものの生の手造り、もしくは手を加えたものをこしらへ それを150部の本のページ分150枚つくるという企画でした。版画の人や生写真の人、鉛筆やら墨やらの原画や布物やコラージュから自転車で紙の上を走る人やら切った貼ったと皆あの手この手で楽しんだり苦しんだり。著名なアーティストの方々も多数参加されました。
1986年私は本の方は、2回挑戦しました。何をやったかというと…。
 まづ最初の回は自分の作品をカラーコピーしてそれに濃硫酸をあちこちピペットでダラダラかけて腐食ボロけさせようというものでマスクにゴム手でヒーコラ取り組んでたらカーペットやズボンの裾までボコボコ穴だらけ。作品も良い具合にボロボロになりましたがいつまでも硫酸が残留して影響を及ぼし続け、隣のページの人が困るという事でしっかりパッキンされ "DANGER" なんて印字されてしまいました。
 2回目は、肉屋に行き色んな種類のモツを買ってきてガラス板の上に華麗な柄状にデコレイションしてそれを下からカラーコピー撮ってそのコピーに私の詩を印字しました。大日本印刷のコピー機の上で150枚を撮ってくうちに機械の熱でモツがグツグツ音をたてて煮たってきまして脂が溶けてすごい臭いを会社内に漂わせました。もうモツ鍋! そして最後に詩をのせたコピー1枚づつに薔薇系の香水をふりかけました。
 さて そのうちにアートワークス展が何度か行われ、2回参加しました最初のは、『洛中洛外図』だったかとても大きな屏風絵を細かくタテヨコに区切りその一つ一つの長方形を作家がそれぞれの方法で描き 後でタイルの様に1つに組み立てるというもので私が考えたのは、点描のように、粒々で絵を造り、その粒の一つ一つを私の日頃描いてる人物の目鼻あるおつむにしてしまうという計略。分子まで描こうと!もうぎっしり子供のおつむです。見づらいながら何とかうまく出来ました。2回目はより大規模なエキシビションでそのポスターにも参加しました。その展示は、何mもある巨大なはりぼての地球の上に作家が好きな地域にオブジェをつくるという展示でした。私はおつむがクルクル働いて『僕、地球の内部を描く。』とついつい名案を出しちゃったもんでトントンと話が進み内側をくりぬいて下の穴から人が覗くという事に。そうして地球の内部描きに遠い作業場へ連日通ってペンキで描けども描けども大きすぎて‥‥。私アシスタントもお手伝いも話し相手もいないのでたった1人で暗くて寒い所でヘトヘトになって、絵らしいものはあきらめ意味深長な柄みたいのをなんとか描き上げバッタリと…。人生最大でした。

 以上これらの作業は大変でしたが常に話題性は提供できたようで僕の作家イメーヂに花をそえてくれました。いつもそうなんですけどアイディアだけは、かなり派手めでなかなか良いんですがそれを形にするパワーが私には足りないのです。夢やヴィジョンが実現できなくて結果小さな夢しかみる事をゆるされません。と思っていたら「偲ぶ会」でいただいた長野さんの御本に『夢は分け合うことで大きくなり夢を分け合うことは人生を分け合うことでしあわせなこと』というようなことが出ていました。心にしみます。

 その後も参加したかったんですけど私生活がごたごたになっちゃってそれっきりになりました。

 80年代後半は世の中アート・ブーム的な有様でもありました。
沢山の若人達が何かヘンな物をこしらへよう、又そんな物に出会いたいと思っていました。『アートワークス』はそんな時代を象徴したメディア・アートです。自由闊達なアートの花壇でした。このような本が存在した時代を生き、それにかかわれた事は、とても幸せな事です。現在からはとても考えられない事でしょう。
私は思うのですが『アートワークス』で私達がひねり出した全てのワークスそしてその精神を80年代の遺産として出版物にして今の世に伝へて欲しいものなのですがどこかの出版メディアの方いかが? 三十周年ですし。 太田螢一」


「ハギハラトシサト君、悦子さん御夫妻と。
ハギハラ君は80年代後半に登場してきたパワー・ペインター。以前にはあの『ロック・マガヂン』の表紙描いてた。叙情を再構築してゆくような作品は絵画の新しい『美』を観せてくれたね。
悦ちゃんは元ビックリハウスの編集者でその後『アートワークス』誌のまとめ役としてとってもお世話になりました。なんだかお二人似ていてうれしくなっちゃったあ。」
Toshisato HAGIHARA (painting artist), Etsuko HAGIHARA (editor)

「美術家で音曲師の上野茂都君と僕と。
月日流れども風情がちっとも変わってないなー。御存知 上野耕路君の弟ね。」
with Shigeto UENO (artist & musical talker) & Kêiti

「とても懐かしいイラストレイターの櫻井砂冬美さん (左) と大須賀理恵さん (右)。砂冬美さんはシュールめのひとくせありそな絵で理恵さんはポカンポカンとした絵。二人とも変わらずお元気!」
with Satomi SAKURAI (left, illustrator) & Rie OHSUKA (right, illustrator)

「高橋美樹君は、書や美術デザインやらなんやかんやしてる人。初めて会ったと思ったら昔、桜井圭介君のやってた『レプリカ』のメンバーだったそうで当時僕が口走ったエッチな話をよく憶えていてくれちゃってた。」
with Miki TAKAHASHI (artist, g. designer, planner, etc.)

「久しぶりの沼田元氣君とともに。元氣君はもういくつもの顔を持ってて詩や文や写真やパフォーマンスやらデザインやら…。様々な事を通して一貫した彼なりのロマンチシズムをクリエイトしている。盆栽やこけしのブームの立役者でもあるね。」
with Genqui NUMATA (artist, photographer, poet, performer, publisher, etc.)

「左より: 悦ちゃん、僕、櫻井砂冬美さん」
Etsu-chan, Kêiti, Satomi

「左より: 高橋美樹君、僕、沼田元氣君、櫻井砂冬美さん」
Miki, Kêiti, Genqui, Satomi

  「アートワークス」から三十年の時が流れました。この日 私達は過ぎ去ったあの日あの頃をなんといとしく思いかえしたことでしょう。
春は近く いまだ寒い二月 白金高輪「クーリーズ・クリーク」
February 2016 at "Coolie's Creek" in Tokyo.


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