ブレエメン
"Bremen"
1980



初出は「宝島」誌の連載頁『デイライト・ドリーム』。
何を描いてもいいと任されていたその頁の三作目あたり、【工場見学】の次くらいに発表。
それを目にされた上野耕路氏により、作者の知らないうちにいつの間にか【工場見学】と
【ブレエメン】に曲が付けられ、後のゲルニカの方向性を決定付けることとなる。
その頃、作者はまだ戸川純さんを知らない。
最初期の太田作品であり、ゲルニカの最初期レパートリー。
ライヴではほぼ必ず1曲目、1stアルバム「改造への躍動」でも第1曲目に収録、
太田螢一回顧展「濃アムネジア界」レセプションでの演奏もこの曲から始まった。

「そういうように何かそこから生み出される事もあるのだから
絵が主動の頁を雑誌はつくるべきだ。当然、表紙は僕の絵で…(太田螢一)」

約20年後の20世紀末、ナイロン100℃の公演「偶然の悪夢」パンフレット表紙にも起用。