1957
2月20日生まれ
體の軸の座り方に貫禄が。
「何を描いたのかは憶えていない」
  双葉のころ.. 3歳
小学校五、六年に
教師であり、著名な現代画家でもあられる
松本哲也氏の感化を受け
大いに自由なる創作精神を育む。
1978
千葉で美術グループ「パノラマ・アワー」を主催、
同時に作詞を開始。
1980
二度の展覧会の後「パノラマ・アワー」解体。
「宝島」誌においてイラストレーションの初仕事
1981
ヒカシュー『噂の人類』アルバムジャケットを担当。
戸川純嬢、上野耕路氏と音楽ユニット「ゲルニカ」を結成。
作詞ビジュアル等担当。
1982
ゲルニカ『改造への躍動』(\ENレーベル)発表。
湯村輝彦氏主催の“東京ファンキースタッフ”に参加。
ナゴムレコードのあやとりの絵のために 絵に初めて指が生える。
1983
ソロアルバム『人外大魔境』(\ENレーベル)発表。
(細野晴臣氏、鈴木慶一氏、巻上公一氏等参加)
ときわまさゆき氏と2人展を行う。
1984
T・R・Aプロジェクトに参加、コミックを制作。
アルバム『ゴジラ伝説』において伊福部昭氏の曲に数曲作詞。
1985
医療や人体をモチーフに『衛生博覧会』主催。(参加40余名)
佐藤三千彦氏と2人展を行う。
あがた森魚氏の『20世紀少年展』に参加。

「軽井沢にて」 
   (本人談)
撮影:清水隆俊氏

1986
作品集『AMNESIA』発表(けいせい出版)。
淡路町画廊を皮切りに名古屋、京都で“回顧展”。
西武百貨店の『イタリア展』にファシスト人形出品。
伊勢丹『仔猫アート展』に出品。
アメリカ映画『LIVING ON TOKYO TIME』(Steven OKAZAKI監督)に
作詞曲「高原のミューズ」を提供。
アートワークス誌」に硫酸・臓物を使った作品を作る。
1987
絵本『働く僕ら』コンパクト版(メリー・ウェルズ社刊)出版。
企画展でサーフボードに絵を描く
アートワークス展」で大きな地球の内部を描く。
1988
ゲルニカ『新世紀への運河』(テイチク)発表。
映画『ドグラ・マグラ』(CINEセゾン)ポスター等担当。
国際ビデオ・マガヂン「INFELMENTAL」に
映像作品『たわわTV』を制作。
1989
ゲルニカ『電離層からの眼指し』(テイチク)発表。
作詞曲「西安の子供市場」がY's Paris Collectionと
ヴィム・ヴェンダース監督の『都市とモードのビデオ・ノート』で使用される。
宇宙百貨にてTシャツ『蛾紋莫大小』制作。
天沼春樹氏著『夢童子曼茶羅』全装丁。
被写体として清水隆俊氏作品集『アジアの夢』(流行通信社)に登場。
1990
絵本『働く僕ら』完成版(リブロ・ポート刊)発表。
1991
朝日新聞夕刊に森瑤子氏作『東京発千夜一夜』の挿絵を
週1回8ヶ月間連載。
1992
天沼春樹氏とライヴ対談
1993
天沼春樹氏著『飛行船帝国』(ほるぷ出版刊)全装丁。
シャボテン栽培に精を出す。
1994
フランスのセリグラフィー雑誌『LE DERNIER CRI』に作品発表開始。
サンフランシスコのマルチ・メディア誌『MONDO 2000』にて
作品多数紹介。
「高飛び中の福岡の植物園にて、
 鯉柄のシャツで」 (ご本人談)

1995
フランスでセリグラフィー集『LE GARGARISME』『THE BLOB』発表。
マルセイユとパリの『UN REGARD MODERNE』にて小品展
1999
『LE DERNIER CRI』ビデオ版『Hopital Brut』で初めて絵が動く。
2000
サンフランシスコの音楽誌『BANANAFISH 14』に作品と
ロング・インタヴューの特集掲載。
2001
11月、トムズボックス(吉祥寺)にてシルク・スクリーン作品展示会
「太田螢一セリグラフィニカ」開催。
L.A.のメリー・カーノースキー・ギャラリーに於けるグループ展に参加
(2001年12月8日〜2002年2月2日まで)。
2002
L.A.のメリー・カーノウスキー・ギャラリーにて
トレヴァー・ブラウン氏と2人展
ボローニャのMondo Bizzaro Galleryでの版画展にセリグラフを出品。
2003
「太田螢市場」を東京・京都・大阪で開催。
自身で図案からシルク・スクリーン手刷り、タグ付けまで手掛ける
太田被服Tシャツをはじめ、布製品、文具など多種のグッズを発表。
会場ではペインティング原画やセリグラフ作品も展示、販売。
東京にてトーク・イヴェント「太田螢一悦覧室」開催。
自作の絵を百数十枚プロジェクターに投影しながら語りまくる。
絵の道の徒となりて30年。
デビュー30周年を迎える。
太田螢一 昨今の動静
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